イタリア楽器工房巡り

~オーナーのイタリア弦楽器工房訪問のエピソード~

Cremonaクレモナ

・ モラッシィ弦楽器工房
・ ビソロッティ弦楽器工房
・ スコラーリ弦楽器工房

モラッシィの弦楽器工房

クレモナ中心街に位置するマエストロの工房。作業を見学させていただいたのだが、驚いたことにコーナーブロックを作るのに鑿でテンテンと2回叩き割った程度で出来上がってしまった。通常鉛筆で書いたラインに近づけるように少しずつ削っていく手間のかかる工程なのだが、なんとも恐るべき技に圧倒された。翌日工房を訪ねると、前日まで空だったガラスケースに20本以上のヴァイオリン(完成品)が収納されているではないか! 噂通りの驚くべき早業に脱帽!

そんなマエストロに自分の楽器用の材料を求めた際、彼自身の手で沢山の原木の中から選んでくれた。彼の選び方はこうだ。原木をトントン叩き音を聴いて判断する。私には音の違いはさっぱり解らなかったが、その中から4、5本取り出してこれがよろしいと渡してくれた。その時に製作されたチェロ(1999年製作)はモラッシィのコレクションブックに掲載されるほどの出来映えであった。

工房でのマエストロといえば、30分ほど仕事をするとすぐ4、5名を引き連れて近くのカフェに行き、盃のようなカップのエスプレッソをグィッと飲んですぐまた仕事に戻る。私もずいぶん頻繁にご馳走になったが、本場のエスプレッソはさすがに美味しく、癖になるのも理解できるのだが…。

忘れられないエピソードがある。彼の車で税関に付き合わされることになったのだが、その日は霧で視界がきかず、前方が真っ白な中を時速100キロ以上で走り続けた。私は固まり声も出なかったが、そんな私をマエストロはからかうように、さらにスピードを上げていった。

ビソロッティの弦楽器工房

彼は顔付も雰囲気も情の厚さを感じるマエストロだ。工房はモラッシィのタイトな職場とは対照的で、広々とした開放感のある明るい工房である。弟子も多く、彼らはみな家族のように振る舞い、団欒は皆声が大きくオペラのように響き渡る。生真面目な面もあり、楽器の支払いの際、“気持ち”を包んでおいたのだが、後日会った時「随分余計に入っていたが?」と聞いてきたほどだ。

弦楽器製作の中心地クレモナという土地柄、多くのヴァイオリン弾きが街にあふれている。お世辞にも上手いとはいえない演奏も多いが、音楽をこよなく愛する人々の温かさにあふれている。

スコラーリの弦楽器工房

男性合唱団を創設し、指揮者兼指導者としてプロ並の活躍をしている彼は、製作学校の校長でもありリーダーの資質に非常に長けている。ある夜工房を訪ねると、コーラスの仲間達と飲みにいくから付いてきなさいと誘われ、日本でいう居酒屋に伴った。スコラーリは大酒のみではあるが、終始リーダーの威厳を崩すことなく泰然自若、万事そつなしといった雰囲気を醸し出していた。しかし、そんな印象とは裏腹な出来事が待っていた! 私は彼にモンターニャ型のチェロを注文し、ニスが仕上がったとの連絡を受け、3ヶ月後にクレモナの工房を訪ねると、なんと彼は笑顔をうかべてチェロの内枠を指さして見せた。しかもそれはマジーニ型であった。注文の楽器に対して、全く仕上がっていないのか、それとも他に売りさばいたのかは結局説明もなく、さっぱり分からずじまいに終わってしまった。恐るべし、イタリア人気質!

クレモナの街

Riminiリミニ

カピキオーニの弦楽器工房

マエストロは小柄で痩せ型、知的で厳格な風貌を持ち、いつも眉間に皺を寄せている。その印象とは裏腹に、声は非常に小さいが甲高く工房に響き渡る。リミニの自宅兼工房はアドリア海の避暑地とは思えない、まるで日本にある住宅街のようにひっそりとしていた。クレモナの賑やかで華やいだ工房からは想像できないほど、質素で人の気配もなく、整然とした工房の道具や製作臭までもが希薄である。依頼の2挺目のヴァイオリンの裏板の削りあがった白木を大切そうに手に取り解説する。工房の壁に飾られた、オイストラフをはじめ、数々の一流アーティストの写真が、場のなんとも形容し難い雰囲気を醸し出していた。一番印象に刻まれた出来事は、彼の笑顔を撮影しようとサッとカメラを向けると突如として厳めしい顔付になる。彼はカメラ写りも威厳のある表情を望んだのだった。

リミニの街

Parmaパルマ

スクロラヴェッツァの弦楽器工房

マエストロの製作する楽器とその音色同様に、彼の表情には繊細な性質が滲み出ている。
パルマの中心街からバスで30分程の郊外にある大豪邸、まるで彼の楽器博物館のようである。最も印象に残っているのは、大きなお風呂場に肖像画が掛けてあり、それは若くして亡くなった奥様の肖像画とのことであった。その時の彼の表情はとても寂しそうであった。

パルマの街

Padovaパドゥバ

ラナロの弦楽器工房

彼の自宅兼工房に泊めてもらったが、私はその時ヘルペスに罹っており苦しんでいたところ、彼が薬を買ってきてくれた。実はこのヘルペス、日本ではどうにも良くならなかったのだが、この薬のおかげか一晩で治ってしまった。(海外では日本人が風邪薬の副作用でひどいことになると聞いていたが、私は大丈夫であった。彼には大変感謝している。)

彼に黄色系ニスの楽器はないか尋ねたところ、これ(赤茶色)がすぐに黄色に変色してくると大真面目に答えた。数十年経つが未だに赤茶のままである!?

パドゥバの街

Mantovaマントヴァ

バルビエーリの弦楽器工房

私の知るマエストロ達の中で、最もイタリア人的なおおらかさと優しい表情をもち、相手を思いやる大変心優しい人物であった。なまりの強い言葉での奥さんとのやりとりは漫才のようで、今思えば場の雰囲気を和ませるための気配りがあったように思う。奥さんは普通の会話であっても、綺麗なソプラノで歌うように話す。このような華やいだ素敵な家庭であったが、2012年12月、病気のためマエストロが亡くなったと奥さんから手紙を頂いた。翌年マントヴァのご自宅へ伺うと、当時の雰囲気は微塵もなく、家の灯火が消えた様に寂しい色になっていた。

マントヴァの街

Firenzeフィレンツェ

ヴェットーリの弦楽器工房

気さくで学者風でもあるが、笑顔は爽やかである。何度も工房近くのレストランでステーキをご馳走してもらった。彼の自宅に招かれたことがあり、奥さんと娘さん3人で静かに暮らしていた。沢山の楽器コレクションをみせてもらった。中でもセストロッキのカルテット、ジュゼッペ・オルナティのヴァイオリンは大変印象的であった。

フィレンツェの街

Bresciaブレシア

フェブラーリの弦楽器工房

彼は市議会議員でもあり、あたたかく懐の深い人柄である。さらに由緒ある家柄でもある。デフェンデンテという名前は、日本で言えば牛若丸のような古風な名前で、本人はあまり気に入ってないようだった。特に印象に残ったことは、楽器購入の支払いの際、目が三角になってお札を勘定していた姿。大変茶目っ気があってついつい笑みがこぼれてしまった。製作楽器には一挺一挺深い思い入れを持っており、手元を離れる際は涙を浮かべていたほどである。

ミリオラティの弦楽器工房

1922年生まれのマエストロは、私が訪れた時はかなりの高齢であった。大変聡明な印象で、知性や品格が表情に表れていた。やはり作品にはマエストロ自身の性質や育った環境、生き様が刻まれているということを改めて強く感じた。

ブレシアの街

Rovigoロヴィーゴ

カマルダの弦楽器工房

イタリア人らしからぬ繊細な気質であり、仕事も注意深く慎重である。奥方は数学の教師であり、息子はパドゥバでヴァイオリンを指導している。工房にはヴァイオリン、ヴィオラ、チェロが整然と並び、ヴィオラ・ダ・モーレもあった。製作には彼の性格が如実に現れ、複雑なチェックが施されており目を奪われた。

ロヴィーゴの街

Gubbioグッビオ

スパタフィの弦楽器工房

夏にグッビオで開催されるフェスティバルで、私の演奏会を開いていただいたことがあった。その際、彼の楽器、Lupo Dagabio Violin(狼ヘッドのヴァイオリン)を使用して演奏をしたのだが、天井桟敷のテアトロで音は朗々と響き渡り一生の思い出となった。

イタリア人は食べることに目が無いが、打ち上げの際の彼の食べっぷりは想像以上。とにかく良く食べる。前菜に山盛りポテト、スパゲッティにパンと肉、これで私はギブアップ! マエストロはそれからが本番で甘いモノのオンパレード…ジャンボケーキに山盛りフルーツをナイフで丁寧にむいて、ワインを水のように一本軽くあけて、食後のコーヒーで完食…。体格も、彼の手などは私の足裏のようであった。

グッビオの街
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